その128 身体技術上達試論③

「速さ」と「居つき」の関係について

 「速さ」を求めることは瞬発力に頼ることにほかなりません。瞬発性を求めるということは、体内に運動エネルギーを溜め、瞬時に爆発させることです。
 しかし、むやみに瞬発性を求めると、身体各部の支点と力点の釣り合いが取れず、体全体がギクシャクとしてしまいます。
 そのギクシャクが、相手に打突の好機を与えるのです。
 武蔵は、それを飛ぶときに起こる「居つき」と言っています。
 『五輪書』には、「飛足をこのまざる事、飛足は飛ぶ起こりありて、飛びて居つく心あり」と記されています。
 飛ぶと起こりが生じ、その起こりは、すなわち「居つき」であると言っているのです。

 通常「居つき」は、心や体が固着した場合(PCなどのフリーズ様)や動作がギクシャクし円滑でない状態をいいます。
 そのように考えれば、剣道で打突の好機とされている、「出頭」「技の尽きたところ」「受け止めたところ」などは、すべて「居つき」と言い換えることができるでしょう。

 また固着やギクシャクした状況にはなく、速く動いていてもその動きが制御や誘導不可能となった場合も同様に「居つき」ということができるでしょう。
 話を再び野球にもどすと、ピッチャーの投げた球は、ピッチャーの手を離れた瞬間、球の行方は決まっており制御・誘導不可能となります。これも武蔵のいう、「飛びて居つく心あり」と同じ状態です。
 変化球といえども同じで、ピッチャーの手を離れた瞬間、球種はいかようであっても、すでに球の行方は決まっており、バッターのスイングに応じて球を制御・誘導することはできません。

 合気道の創始者である植芝盛平は「鉄砲の弾でも躱(かわ)すことができる」と豪語していたといいますが、鉄砲の引き金を引く気を感知し、弾丸発射の刹那、着弾までの間に体を捌(さば)くことができれば弾丸を躱せる、という理屈になります。
 目にも止まらぬ弾丸も、いったん発射されれば制御・誘導不可能だから、発射後は、体を捌いた敵手について行くことは出来ません。
 できる出来ないは別として動きの中の「居つき」を考える一つの観点となります。

 さていっぽうバッターの方ですが、球がピッチャーの手を離れた瞬間にコースを予測し、出合い拍子にバットを一気に振り切るのでしょうが、ここでもピッチャーと同じ「居つき」の現象が現れます。
 というのは、バットを始動させた時点で、飛ぶのと同様、スイングの筋道はすでに決まっており、それを制御・誘導することは極めて困難であります。

 つまり、ピッチャーが球を手から離した瞬間、バッターがバットを始動させた瞬間、双方ともに居ついているのです。いわば居ついたもの同士が角張った対決をするという構図になっています。
 身体動作や技が角張っていて、柔らかさに欠けており相互の攻防の展開が、まさに爆発と居つきの繰り返しで戦いを展開している状態です。

 残念ながら剣道においても、これと同じことが言えます。
 ただし巷間に「生涯剣道」と言われるように、長年練習を重ねますとそれなりに熟(こな)れができ、若者のスピード剣道にも対応ができるようにはなります。
 しかし、こういった攻防の反復練習の延長線上には、達人とか名人や極意の世界が開けることはありません。
 「居つき」から脱却しないかぎりは。
 次回は、「居つき」からの脱却について述べることにいたしましょう。
つづく
頓真

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